新年初の投稿ですが

あけましておめでとうございます。。。というにはもう遅いですが...

 

昨日あたりスズメを見ました。太ってました。

 

今日は少し近況と抱負を書いてから、ここ数日で悲しい気持ちになったので書いて発散しようと思います。

 

近況。ここ一か月はそこそこ幸せに暮らせています。たまに将来のことなどを思い(想い)、つらくなっていますが。それでもより良い日々になってきている気がします。

抱負。精進します。

 

 

 

さて、今日の本題を書きます。いつの投稿でもそうですが、これは日記です。そこに注意してください。

 

ここ数日、YouTube で投稿されるなどした動画について、どれほど専門性が問われるのかということについての意見を twitter でいくつか見ていて、思うところがあります。

まずは自分語りからしようと思います。

僕はそもそも歴史という科目が嫌いでした。それはただ暗記が嫌いという一点の理由からです。そして、歴史を題材にしたような、あるいは、歴史が好きな人物が描かれた作品 (アニメ) を通して、歴史の重要さだけは知った気になれました。それでも、教科として暗記のイメージがこべりついている (現実の) 歴史を勉強しようという気が (wikipedia をサーフィンしようなどという気さえも) 一切していませんでした。また、YouTubeニコニコ動画で歴史解説動画を見て楽しんでいた時期もありましたが、実は今も勉強する気にはなってません。

あと、変に巻き込まれないように注意しておくと、

 

 

僕は人間が映った YouTube などの動画を見てきませんでしたし、見る気も全然していませんし、これからもしないだろうということです。

 

 

もちろん映画やゲームの宣伝 PV とかは観たりしますよ (汗)

ですが、上で言っている僕が楽しんでいる解説動画というのは、いわゆるゆっくり解説などのある意味ラジオ的な動画であるということを断っておこうということです。

 

 

また、僕にとって、 YouTube の動画はラジオ的なものかゲーム実況的なものしか興味がありません。これは、顔出しの YouTuber とかは、なんというか、芸能人っぽさがあって、テレビの延長なんだろうと感じて嫌気がさすからだと思います。実家に帰ってテレビに YouTuber が写っているのを見ると、違和感があるのです。

おそらくは、僕はニコニコ動画の方に理念っぽいものが惹かれるけれど、コメントの荒々しさに twitter の良くないところを感じて、収まるのが 「YouTuber の見えない、コメントの (うるさく) ない YouTube の動画 」というところなのではないかと思います。(といいつつニコニコ動画も定期的に見てますが。)


一般には、娯楽として楽しむための動画として、YouTube の動画は多様に存在していると思っています。つまりは 「YouTuber がテレビしている動画」というのもその多様性の一つだろうと思います。

Tube がテレビを指すらしいですが、実際には多様な人が気軽に動画共有ができるのが YouTube (やニコニコ動画) の本質なんだろうと思います。

 

ようやく本題ですが、専門性について思うところを書きたいと思います。

 

YouTube の動画というのはそういう多様性がたくさんある場所です。自由な場所といってもいいでしょう。そこを正確性とか専門性とかで批判する人を見ると、「何をいまさら」という気分になります。もともとネットは、書かれたものが  例外なく  正確性がわからないところだったはずです。Wikipedia がいい例でしょう。それを YouTube になるとああだこうだ言い始めるのはそもそもおかしい。専門性の話についても同様で、専門の勉強をしてない人が動画投稿してはいけないのなら、おそらくは、趣味であってもかなり勉強されて投稿されているものも十把一絡げに NG ということになり、そんなことは煩わしいだけです。迷惑なだけです。

自分の専門に近い分野 (「可換環論」とか「類体論」とか) や大雑把な分野 (「数学」とか「物理」とか) についての動画があったとして、ゲーム実況動画みたいな熱心さで見るかというと、まず見ません。もちろん、 twitter とかで流れてきた中で、気が向いたものは本当に偶に目を通すくらいのことはありますが、本当に少ない。

その一方で、自分の知らないこと (僕の場合は 自分の知らない・やらないジャンルのゲーム) についてはよく見ようとします。自然に興味もわいてきます。もちろんそういうときにウソが100%では困ってしまうわけですが、80,90% くらいの、あるいは核心を突く部分が本当 (正確) であれば十分で、あとは自分でプレイしたり (勉強だったら本を読むなど) して、新たな趣味として芽吹くわけです。そして、ある意味それを狙って、自分の趣味を誰かに伝えようと動画の投稿主は投稿しているはずです。(今の僕みたいに一時的な発散目的に投稿する人もいることでしょう。)

そして、この手の議論は、少なくとも学問については Wikipedia について散々なされてきたことのはずです。

 

研究者や専門家やその卵が、こういう動画や Wikipedia みたいなものを作ることに対して、すごく難しく感じたり、あるいは他人が自分の専門について雑に動画を作ることに憤るのは共感できます。でも「叩いていい」わけではないでしょう。

また、初心者に先の難しい事柄について、わかりやすくかつ正確性を担保しながら伝えることの難しさもわかるつもりです。ですが、それは「初心者にわかりやすくしなくていい」ということにはならないはずです。「大雑把ですが」とか「hogehogeは不正確ですが」と前置きや注をつけてすることはできないのでしょうか? そういう努力をしている (これからするかもしれない) 人に向けて、「こう直してよ」と提案せずに、「お前は間違っている」と主張し潰そうとする人に、視聴者はどう思うでしょうか? 

それから、特に僕が気にしていることは、研究者や専門家の人たちのふるまいとして、このようなことが「よくあること」として認識されてしまうことです。彼らは動画に親しく (荒らしにならない程度の親切さをもって) 指摘して反応を待つのではなく、twitter で燃やしているのです。こういう在り様は、すごく見ていて悲しいし、そういう人達が動画などを作っても面白くはないんだろうなと、(たとえ実際はめちゃくちゃ面白かろうとも)傍観者の視点からは邪推したくなります。

 

また同時に、初心者や研究者の卵に対しても、「間違っていることは断罪してやる」というようなふるまいが感情的な言葉とともにでてくる様子は、個人的に嫌いな光景です。僕は間違いは修正するものだと思っています。修正することは成長することだろうと (安直かもしれませんが) 思っています。そして修正する暇を与えず、自分の正しいと思うことを押し付ける人とセミナーなんかしたくありません。(何の話やねん)

もしかしたら研究者や専門家の集団というのはそういう人達の集まりなのかもしれません。僕みたいな「甘い奴」はいずれ淘汰 (断罪) されるのであって、そういう人間の僻みが、ここまでの文章を生み出しているのかもしれません。でもそうなのであれば、そんな集団から出ようと思います。こんな集団に寄付なんかする気はありません。給与をだしてあげてと懇願する気にもなれません。

 

僕が見たいのは、研究者や専門家による寛容さを伴った冷静な指摘・批判と、そこから広がる知的な営みです。最近の僕が見てる動画の流行りでいえば「啓蒙」です。暴力的な矯正ではありません。そしてそういう矯正まがいのことは、いずれ動画投稿などの趣味的な行為やその文化に歪みを生むだろうということです。ただの感想ですが、僕はいまこれを痛烈に感じています。そしてこれもまた人間の社会性の一面なのだろうと思います。(研究者集団に社会性がないだって?まだそんな幻想をもっていたのかい?)

 

 

 

今日はこの辺りにしようと思います。最後の段落が書けたので、今日の日記としての役割は果たしたと思います。(その意味では他の文章は駄文ですが、それも味ということで。読む人もいないでしょうが。。。でも最近アクセスがちらほらあるんですよね。ありがとうございます。)

 

書き終えてから何ですが、冷静になってきたので少し言い訳がましい補足として、もう少し書きます。

まず、解説動画の類のコメント欄というのは、もともと正確性や Wikipedia から丸写しではないのかという指摘はよくあるものです。(よく知られているように、ニコニコ動画ではその様子が顕著に映像として反映されます。) つまり、いまの騒動(炎上?) は明らかに「芸能人」がやったからです。つまり、ここで書いたような話 (研究者集団のある種のモラルの話) は出鱈目とも言えます。しかし、ここぞとばかりに研究者然としたアカウントがそういうことをツイートしていて、しかもそれを知人がファボやRTで拡散したので、僕もここぞとばかりに、日々の不満をぶちまけたかったのです。(つまり日記です!)

あと、こういう専門的な正確性が低いものについて、コンテンツ力があるのだから、裾野を広げるため、ある程度はしかたないというツイートも同時に見ました。つまり、専門家(?)の中にもそういう人もいるのだろうなあとも思います。

あと、一般的なこととして、やはり初歩的なミスややってしまいがちなミス、性格・特性のせいで誘発されやすいミスというのは、誰でも必ずあることだと思っているので、そういうのも含めて (修正ではない) 矯正しようとか断罪しようみたいなノリは、仮に結果としてのミスが許されない場であったとしても嫌いです。なおさら、ミスが前提になっているような場に対する今回のような在り様には嫌悪感が出ます。今日の日記はそういうものを書き起こしたつもりです。

 

 

 

大雑把に見返しても、まとまりのない文章になったのがわかります。ですが、今日はもういい時間ですし、これでおしまいとします。

次は平和な話題が書けることを祈って。

 

 

 

では、また。