近況など

眠れないので備忘録的にいくらか書いてみようと思います。

買い物した帰りに見た桜がきれいでした。

 

ゲームの話から*1

 

まず、Elden Ring(以下、「エルデン」)から。

確か、以前の(直前の)記事で、悪いところを中心に書いたわけですが、あれからアプデも入り、さらにいくつか(5つくらい?)キャラを作ったり、メインキャラを8周目まで進めたりしました。その結果、やっぱ神ゲーじゃんという評価に落ち着いてきました。

**以下、ネタバレを含みます。

 

 

 

特に、モーゴット、獣の司祭及びマリケス、ゴッドフレイ及びホーラ・ルー、ラダゴン、血の君主モーグは慣れてきたこともあって、楽しく戦えるようになってきたと思います。ただし、各敵ごとに戦略幅が狭いままのボスもいます。例えば、獣の司祭相手は弱攻撃中心でないと被弾する、マリケスだと戦技などの強行動多めにしないと事故が起きる。血の君主モーグも振りの早い武器の弱攻撃中心にする、特に第二形態は焦らず少しずつ削る、といった具合です。

結局、楽しいボスというのは、

  • 相手の動きに合わせて行動しながら少しずつ削っていく
  • 大きな隙があり大きな反撃を与えることができる
  • チェインなどでワンパンされずミリ残りする程度のHPがこちらにあり、ミリ残りして「あっやっべ」となる焦燥感を味わえること

が重要なのではないかと、そしてこれは「強い」ボスだから楽しいのではなく、程よく死闘感と呼べるものがあり、相手にねじ伏せられるでも相手をねじ伏せるでもないちょうどよい難易度があるからこそではないかと感じます。*2

その意味で、エルデンはモーゴット撃破までの自由度が高い分、HPや火力を充分蓄えない(蓄えられない)初見の理不尽さが大きすぎるのかなとも思います。逆に、しっかりした知識がある上での一周目や、レベルが整う周回はかなり必須大ボスに楽しめるようになってくるのだなと感じます(この会社のソウル系全般に言えそうですが)。

ただし、マレニアの近距離水鳥乱舞だけは今からでも削除するか、戦技やアイテムを使わずともできる簡単な回避方法を用意してほしいです。正直、距離に応じて火力を落とすか二段目以降すかるようになるだけでよいので、なんとかならないでしょうか。。。

付け加えると、ダクソ3のプレイ時間を超えたので、そういうゲームを神ゲーと呼ばないわけもありません。

 

 

 

次に、これまでやったゲームのいくつかを取り上げます。

  • The Evil Within (無印、2)
    • これは実況を見ていて、そのうちやってみたいなと思っていたゲームで、やってて端的に面白かったです。無印の本編は二周目もやってみて、ボルトの利用を少しうまくできるようになったり、アイテムを頭にあててのスニークキルできたりでうれしくなったのを覚えています。
    • ストーリー的にもインセプションっぽい設定で好みです。日を空けて再びプレイしたくなるタイプのゲームだと思います。
  • Batman: Arkhamシリーズ(のうち、AsylumとCity)
    • これも動画(正確には実況ではなくプレイ動画)を見てそのうちやってみたいなシリーズです。難しい場面もありましたが、クリア自体はできてほっとしています。正直Arkham Cityの方が操作性の意味で良すぎるので、今後やりこむとしたらcityの方かなと思いつつ、今は満足しているのでこれもある程度放置して、またプレイしたくなるだろうなと思います。
    • 簡単操作でバットマンになれるので、それだけで神ゲーです。
  • StarWars ジェダイ:フォールンオーダー
    • これはセールでたまたま目についたのでやってみました。ストーリー的には若干中途半端な部分もありますが、続編が出るようなのでよしとします。*3やりこんだりもう一回やったりするゲームではないかなという印象ですが、とても満足感はありました。ただ、セール以外だと正直高いなという印象はあります。
    • ライトセーバーをsekiroっぽくブンブンできると思ったときに、それならやりたいと思える人が(安いときでいいので)買っても損はしないと思いました。

あと、Rimworldをパーマデス(任意セーブの禁止)でやってみています。いい感じの緊張感があります。あと、アプデのおかげか倉庫をコンパクトにできるようになったので、とても快適になりました。

ここにきて、ようやくこのゲームのスタートラインに立てたような気がします。300時間超えてるんですけど...まだDLC買ってないんですよね...

今後は、こういうRTS系のゲームをちまちまやっていきたいなと思いつつ、エルデンのDLCや、気になったゲームに手を出していきたいなと思ってます。

ただ、キーボードマウスで操作が厳しいゲームには手を出す気がしないので、体験版があるゲームはなるべく触るべきだなと最近強く感じます。*4*5

 

 

 

最後に、最近気が滅入ることが多いので、愚痴っぽいことも書き残しておきます。

 

現在、ニートと学生の中間の存在となって現世に漂っているわけですが、ほぼほぼ学生としてふるまえていないです。

最終的な仕事につながる勉強なので、それを意識して課題をこなそうとするのですが、どうも課題の設定や内容が薄く感じられ、やればできるんだろうなと思いつつ、実際にやってみると要求されている分量に明らかに足りなくて、どうすればいいんだよと頭を抱えるような気持ちになり、そのあと現実逃避してしまい、だらだらと続いてしまう。そんな日々です。

数学の科目もあるのですが、何を前提にして答案を書けばよいのかわからないフィードバックを一方的に何度も受けるのはさすがに理不尽です。こんな採点や評価を他人にしないように、という反面教師的な、しかもほぼ無意味な教訓だけ得られて、次の課題提出でどう書けばいいんだよと、やはり頭を抱えています。本来こういうときは誰かに相談すべきですが、実質的につまらない評価を下す相手にしか相談できない形になっており詰んでます。教員を変えることもできないので、はっきり言ってこの科目一つで僕の人生が左右されかねないわけですが、そういう課題の評価の在り方でお金をとるのかという気持ちにすらなってきます。

数学の勉強については、特に語るべきことはないです。いくつか本を買って、少し読んで、少し積んで、といった感じです。現状では具体的に書けることは何もありません。

これから仕事にしていきたいことについて、いくつか考えがまとまり結論が出せそうなものもありますが、経験を伴わない上に実現できるか怪しい考えなので、より具体的になったら言葉にしていきたいと思います。*6*7

 

 

 

 

 

今日はこの辺りにしたいと思います。まとまりもなく具体的な文章とも言えない拙いものしか書けていません*8が、お許しいただければと思います。

 

では、また

 

 

 

 

 

 

*1:書いている順番的には、気が滅入る愚痴から書いていますが

*2:もちろん、ねじ伏せることができる方が自由度があるわけで、むしろそれを否定しないくらいの方が好きです。そして、その好みが対人ゲームにのめりこめるかどうかに関わるのかなと、ある配信者の発言から考えたりしてました。この配信者さんはいわゆる死闘感と敵の強さを混同している気がしました。付け加えるなら、上手くなるために知識や練習がいるみたいな話も対人かどうかに関わらないので、結局は戦闘で熱くなれるかどうかが大事なのではないかと思います。難易度の高すぎるゲームはどうしても冷めてやりがちだと思います(僕の場合はsekiroである時期そうでした。まともにやったことはないですが、おそらく一対一の対人ゲームもそうでしょう)が、冷めてやるゲームでは緊張感は味わえても楽しさや爽快感はないでしょう。ちなみに、僕が対人ゲームでもWoWSはそこそこ遊べているのは、船を使いこなす要素が強いのと、多対多なので責任が重すぎないことにあるのかなと思っています。つまりは相手が人間だから読めないから自分より強いからではなくて、あくまで自分を受け入れる場所(僕の場合tier6,7戦場)があってその上で時折ヒリヒリする戦闘があるからやっていられるし頑張れるのだと思います。

*3:あとラストであのお方が別格の強さで出てくるので、それで納得して満足しました。

*4:Ender Liliesをセールでないときに定価で買ってしまったことを後悔しています。

*5:偏見交じりな感想ですが、キーボードマウスで操作が厳しくなるゲームや、steamで発売しているのにそういうデフォルトのキー配置がおかしいゲームは、コマンドゲーになっていたり、PC最適化がいまいちなことが多いのではと感じています。

*6:言語化できないものは主張として成立しない、というような価値観に息苦しく感じることが最近多く、言葉にならないことも大事にするべきではと悩ましく思っています。言葉を省略することで見通しが良くなることもありますし、誤魔化したり忘れたりすることで新しい発見を誘導できることもあります。加えて、言語化できたと思っていても、正しい表現や的を得た表現になるとは限らない以上、文脈を察する努力は怠ることができないわけです。

*7:例えば、以下のような疑問を考えています。答えを出しているものもありますが、まだ結論は出せないと思っています。(1)数学を勉強するときに厳密性は必要だとして、どこまでのものなのかという問いと、認める主張を明確にしつつ前に進むべきというある種の諦めを伴う答え。(2)数学教育の場では厳密な答案を書く練習以外に、問題解決に正面から向き合う練習をするためにできることがあるのではないかという問いへの答えは、前提となる知識をもった状態で発表の場が与えられ、詰問されることなく、建設的に温和に議論することではないのか。そしてそれは、現状で教育の場で求められるとされている「生きる力」の醸成そのものではないか。(3)しかし、それは大学でやればいいのではないだろうかという問いへの建設的だが簡単な答え;早いうちに初めてもいいのではないか。(4)反論として、言語的な思考は思考の柔軟さや競技的な意味合いの強い試験における方針転換の素早さを捨てることに繋がるのではないか、特に中高生には害の要素が強いのではないかという疑問。

*8:こういう文章なら3000字弱をスッと書けてしまうのは、不思議なものですね...