とりあえず何か書きます

どうもお久しぶりです(?)、こんばんは。(いまだに、このブログを見ている人が 0 人なのにこんな挨拶に意味はあるのだろうかw)

 

今日は特に何を書こうというわけでもなく、とりあえず、記事を書くをクリックしてみたくなって、クリックしたので何かを書こうかと思います。今まで通りポエム的文章なので、それが嫌な方はここまでということで、ではまた。

 

研究と給料 

 

自分はまだ修行中の身なので給料をもらうということはないのです。それについては何も異論はないですし当然とも思っています。しかし、(少し local な言い方ですが) M とか D とかの人々、つまり院進を果たした人々が結果を出していないからと給料を支払われない(ように拘束してしまう)現状はどうなのだろうか、と疑問に思うことが多いです。個人的には給料が出てほしいなあと思うので、それについて少し(できるだけ正当化できるように)考えてみます。

まず、いわゆる給料をもらっている研究員というのは、企業か大学かに属していると思います(というよりそれ以外の例はここでは考えないことにします)。企業の場合というのはよくわかりませんので、大学の場合のみ考えます。院進について考えるのでそれで十分と思うことにします(実際には、大学というのは企業と比べてどういう立ち位置でいるべきかという問題は、とても重要でかつ大学ごとに異なる議論を必要とするような簡単でない話になるはずなので、ここでは扱わないということです)。

さて、大学において仕事をして給料をもらっている人は大勢いると思いますが、院進と比べてこうあってほしい、という見方をするために同じような仕事を探しましょう。まあ簡単には、院進したら研究をするはずです(これも所属する大学やさらには組織や学年によって異なるわけですが、ここでは大雑把にとらえます)から、そうすると大学教員や大学組織に所属する研究員(以降でそれぞれ、教員・研究員と略します)がいます。

教員には教育活動に対して給料が出ていて、研究員には研究成果を出すことによって給料が出ていると思っています。そして、教育活動としてTA職というものもあり、これは実際に周りの先輩の(主に)Dの方が給料をもらっています。一方で、院進した M や D の人々は「学生」ではあっても研究成果として修士論文や学位論文を作成するわけなので、これに対しても(仕事をしているのだから)相応に給料が出て然るべきではと思います。

ただ、研究成果を出してもそれだけではお金を稼げないこともある、というのは資本主義(?)としては正しいというのも当然であり、そうなると、教育活動として(Mは無理でも)Dの人を講師扱いして講義を持たせたりなどして給料を渡す口実とするのが現実的なのかもしれないなあなどとも思ってしまいますな。

しかし、少なくとも、院進して研究している M や D の人に対して「学生」という扱いをして雇用せず、逆に学費を払わせているというのはさすがにどうかと思うのです。企業が、学部卒の人に 5 年以上「研修しているんだ」と言いつつ仕事をさせて、給料を支払わないどころか経費を負担をさせているようなものだと思うと、それはとんだブラック企業ではと感じられると思います。その一方で、その例でいうなら、会社の利益にならない仕事をしている人間に 会 社 が給料を出さないというのは至極当然かもしれないわけで、会社と研究機関(とくに大学)が異なる点と言うべきで、例えとして良くないのかもしれません。

ここまで書いておいてなんだか何も主張していないようでなんだか中途半端ですが、今日は飽きてきたのでこのあたりにしたいと思います。まあまだ修行中の身としては、親からの学費などの費用を負担してくれることを給料だと思って、給料分の仕事をしたいところですな。。

 

次がいつになるかわかりませんが、また。(だから見ている人がいないんだよなあ...)