説明すること

今日は、台風が平成最強という文句にふさわしいものだと実感しながら、家の外を歩きました。自分は元気ですし、家も実家も無事だったようで一安心しています。他の人々はいかがでしょうか。

今のところ読者はいないようなので無駄な問いのようにも思えますが、社交辞令とはこういう相手のいない場合にはどう扱えばよいのでしょうね。

 

さて、今日は説明することについて、そろそろ何か書こうかななどとも思っていたのですが、twitterで「数学は暗記か」などということが議論になっていて、思ったことがいくらか書いてみます。(そのtwitterの議論について意見するわけではないので注意してください。)

 

結論的には「あまりきちんとしたことが言えないなあ」という内容です。また、何か根拠として資料などを援用するつもりもないポエム的文章なので、気に入らなければ、今日はこの辺ということで。

 

「数学」はどうやって学習されるか

 

さて、まずは数学について対象を絞ります。次に「暗記」という言葉で表す事柄を絞ります。その上でどういう議論なのかを考え直してから結論をみていこうと思います。

 

ここでは、「数学」と書いた時には高校数学(大学学部受験における数学)についてを指すことにします。単に数学と書いた時には教育的配慮よりも学問的な体系を重んじる(いわゆる大学の)数学を指すことにします。

また、「暗記」というのは、丸暗記、つまりは内容を(あまり)考慮しないままそのままの形で二つの対象を結びつけ記憶することを指すことにします。

丸暗記の例としては、英単語とその意味を(一対一対応でなくても)そのままの形で覚えるなどがあたると考えてもらえればよいです。

と書いてはみましたが、もうこの段階で「暗記」の意味が読む人によってぶれると思いますが、あまり深くは考えずに、語感的に、丸暗記であって体で覚えるといった類ではないものととらえてもらえればと思います。(これでも伝わらない人もいそうなので説明するって大変ですね(笑))

 

本題に入ります。そもそも数学とはどのような科目かというと、数学的概念に慣れることや基本的には問題を解くこと(あるいは解くために必要な性質(定理)を証明すること)にからなる科目、というのが妥当なところだろうと思います。

そして、「数学」を「暗記」する、ということは恐らくは、問題に対応して答えを(一対一に)丸暗記するということを指すと思えます。

これの是非を問うということはしません(なぜしないかは後で説明できればと思います)が、ともかくはこれが学問としての数学の成り立ちとしてはおかしいことがわかります。実際に、「数学」においては、「ある種の問題ではすべからくこのように解く(このようなことが成り立つ)」というアルゴリズム的な公式やら解法やら(教科書に絶対に載っているレベルでは)性質(定理)やらという形でまとめられます。これは問題と解答を一対一対応してそのまま覚えるのではいくら本があっても足りないし「やってられないぜ」となるためと考えられます。つまり、「数学」を「暗記」するということ自体、ある意味で先陣の知恵を台無しにしているというか、無視しているようなもので、あまり(効率も含めて)「数学」や学問としての数学を理解し運用するということにならないと思えます。

また、問題解決自体でなく概念の理解においても「暗記」する必要はなくて「なぜそう定めるのか」という意味や意図がわかっているとその概念を見るたびにその意味や意図を反芻して「暗記」というよりも 習得 (とでもいえばいいのでしょうか、それとも体で覚える、の方が伝わるでしょうか)していくので、無理やり「暗記」をすることはないだろうと思えるのです。実際自分はそのように(中学)高校時代は過ごしていました。

 

しかし、いくら「数学」というもので語っていてもわかりにくいですし、少し英語や歴史の話をしておこうと思います。

 

苦手な科目における丸暗記

 

ここでは「暗記」の代わりに(こちらの方がより伝わりそうなので)丸暗記ということにします。

英語や歴史は自分で苦手でしたし、それこそ丸暗記ばっかりしていたのですが、数学におけるそれと同様に、これも変なやり方なのではないかと思えてきます。(中学高校のときも結構悩みました。) そもそも丸暗記は苦手でよくできなかった上にしてこなかったので、習得したいなあという気持ちでいました。英語は、たくさん文を読んだので最終的には志望校にいけるくらいの基本的な単語は身に付きましたし、(少なくとも日本で)数学をする上では十分なのでまあ結果的にはよかったのかなあという感じでした。歴史は丸暗記しないといけない量が多いのが嫌で、高校では地理を選択したのですが、これも十分な量を丸暗記するというよりは必要な分を問題を解くたびに確認して使って習得した感じです。

自分が苦手でいた歴史についても、歴史が好きで、ずっと歴史書(?)を読んだりしていれば必要な知識として覚えていくでしょうし、そうなるとその人にとっては習得にあたるのだろうと今なら思えます。(これは個人的に大学入学後、ある動画をきっかけとして戦史や戦術などに興味をもったことからくるものと思っています。)

少し自分語りに入りましたが、要は自分は必要なものを使って(その場で丸暗記せず)習得するというタイプの人間だったということです。

そして、このことを踏まえると、興味のない科目や苦手意識のある科目については、いくら使おうと、いくら意図や意義や意味や実例を挙げようと、試験に必要なのはその習得である以上は、習得しきれないものを一旦丸暗記で済ませるということは、定期的に試験にさらされる学生や生徒にとって常套手段になるのはなんだか思い当たる話ですし、それを否定することは難しいように思えます。(もちろん、丸暗記することはどんな科目でも本質的に何ら意味がないというのは、至極当然と思います。) こう思うと、その苦手な科目が「数学」であったときには、この丸暗記という手段を用いるのはしょうがないような気がしてきます。 

 

では、「数学」の「暗記」についてに戻ります。

さて、ここまで来ると、なんというか、結局は学生や生徒本人の問題なようです。そして、そう思うと簡単に、次のように済ませればよいように思えるのです。

要は、(学生や生徒が)丸暗記したことでどれほど役に立ったかについて自覚的かどうか、ということが問題である。

(ここで、役に立つ、というのはどれほど多くの「数学」の問題を解けるようになったか、ということを指すと思ってください。)

 

学問としての数学を勉強していて

 

今日はタイトルとは違うような話を長々としてしまいました。

最後に、あえて丸暗記を「暗記」と書いたことについての話をしておこうと思いますが、その前に少し、学問的な数学をしていて思うことから話します。

学問としての(教育的配慮に欠ける)数学を勉強している人間としては、ある問題の解答を丸暗記するということはあまり意味があるようには思えませんし、それよりも細部をきちんと追うことや証明全体の流れや証明のどこが本質的かを見る方が良いという意見に賛同し行動しようとしているタイプの人間です。

しかし、定義や定理の主張を丸暗記して頭にとどめておければそれに越したことはないし、便利だろうなと思うことは多いです。つまりは、まだ習得できていないけれども、その定義や結果を使ってその概念やさらにその周りの概念の状況についてあれこれ考えたいと思った時には便利ですし、その時には証明などというのは必要かどうか怪しいこともままあるのではと思っています。ただ、自分はやっぱり丸暗記というのは苦手ですし、何回か使ったりしないと風に頭の中で考えるための道具にするのは難しいという気持ちになります。

そうしてみると、英単語の例を思い出すとき、何回も見たり書いたりしたことを暗記と呼んではいなかったかと思うことがあるのです。実例の中で覚えていく、使えるようになることを習得と表現していたつもりですが、暗記と習得の違いとはなんなのだろうかと根源的な問いが口を開いてこっちを見ているような、そんな気分になってしまいます。つまり、何回か使わないと身につかない(今やっている)数学の習得と英単語の暗記とが区別できなくなってしまうような気がしてくるのです。

実際にそういう風になってしまう(学問としての数学をしているような)人というのは多いように思えますし、生徒の中にもいるのだろうなあと思うと、丸暗記という「理解の伴わない暗記」と違う「理解の伴うべきかもしれないが、とりあえず理解は置いておいて覚えてしまおうという暗記」とを区別したいなあという気分で「暗記」という言葉にしました。(が、実質上は丸暗記と考えてさして問題ない気がします。)

 

 

今日は本当に長い文章を書いてしまいました。書いていても「なんか違うなあ」と明日くらいに思っていそうなので、ここに書いたことはあてにしないでくださいな。説明するというのはむずかしいと実感しますね。。

 

では。また。